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インセプション個人的メモ

忘れないためにインセプションのメモ


「町山智浩帰国トークライブ」インセプション部分を要約した。

パリのシーンで出てくる橋は、
映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の冒頭シーンで使われたビル・アケム橋である。
この映画は妻に自殺されてしまった男が主人公である。
インセプションにこの橋が使われた理由は、妻に自殺された男の物語だからだ。
産業スパイの話はポイントではなく妻に自殺された男が投影から克服する物語なんだ。

映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」
ttp://www.youtube.com/watch?v=Z3uI08WUbH0

前述のシーンの主人公の表情はフランシス・ベーコンの自画像を元にして撮られたが、その自画像がインセプションに出てきている。
ttp://www.culch.ie/wp-content/uploads/2010/01/self-portrait.jpg

根底にあるのは死んだ妻の話。
コブの心にはモルが投影(コブの記憶としてのモル)として残っていて、ミッションを妨害してくる。つまり敵は妻なのだ。
なぜ、ノーランがこの話を作ったかというと「惑星ソラリス」をモチーフにしているからだ。
巨大知的生命体である惑星ソラリスについて宇宙船で主人公が調査を行っていると、自殺した主人公の妻が蘇ってくる。
蘇った妻は主人公の記憶からソラリスが実体化させたのだ。妻を自殺させてしまったという罪悪感から妻を殺すが何度も蘇ってくる。
つまり幽霊話だ。インセプションも同じことをやっている。
ちなみに、惑星ソラリスにも無重力シーンがある。
ttp://www.youtube.com/watch?v=mK5SkU5g3uM

インセプションしたものは何か。それは、「これは現実ではないかもしれない」という考えだ。
その考えがいったん始まると止まらなくなる。それを考えさせてしまった罪をこの映画は説いているのだ。夢落ちの恐怖を描いている。
夢の夢の夢、どこまでが夢か分からなくなる。これを無限後退と言う。現在は無限後退の考えが一般化してしまい現実が分からなくなってきている。
本当に自分なのか、夢なのかわからない。その考えが人々に浸食していっている。


インセプションの中で鏡を互いに向け合うシーンがある。無限に鏡が続きどこまでが自分なのか分からなくなる不安感に襲われる。
その考えを始めたら大変なことになる、その罪は拭えない罪なのだ。
そういった考えを一般にインセプションしてしまったバーチャルリアリティーや映画に対する自己反省的な要素がある。


「インセプション」はいったん現実ではないかも知れないと提示されると無限後退が延々と続き、人間たちのすべての現実感覚を蝕んでいってしまう。
社会的メッセージというより心理的メッセージではないか。
産業スパイの話はどうでもいい(マクガフィン)んだ。
妻を滅ぼしてしまったインセプションっていうものは、この映画ののオチのように現実か夢か分からない考えが無限後退していく怖さを表現している。


インセプションのテーマは、ボルヘスの「円環の廃墟」。
渦巻き状の迷路のような廃墟にいる一人の男の話。劇中アリアドネが書く迷路はこの廃墟だ。
アリアドネは、ギリシャ神話でミノタウロスを迷宮から脱出する手助けをした、つまり、迷宮に入っているのはコブなんだ。
「円環の廃墟」は自分の現実は、実は誰かの夢の登場人物だったと気づく話。それは唯我論を否定するもので、インセプションはそこまで含んでいる。




てな感じ、素晴らしい評論だと思う。
それでも最後のシーンの解答を求めるなら。
5年越しの再会だというのに、子供が成長していない。
よってまだ夢というのが妥当かな。
残念だ…

ノーラン作品ってプレステージもにたような話で、どっちなの?て作品好きなのかなァって思う。

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